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江別の中の「世田谷」

前回作陶家の小森忍の生涯を描いた本、「江別に生きる3 小森忍の生涯」をご紹介したが、同じシリーズの第1作「江別に生きる1 世田谷物語」にも触れておこう。

江別に”世田谷”があるのをご存じだろうか?

東京の世田谷区は馴染みの場所で、”世田谷”=都会の中の田園というか、都心の外れののどかな土地という思い出があるが、今や高級住宅街や憧れのセレブエリアのイメージを抱く人も多いらしい。

その世田谷から第2次大戦の戦火を逃れて江別にやって来た人達がいた。昭和20年、彼らが入植したのが江別市角山。それが18世帯の江別「世田谷部落」である。

「拓北農兵隊」-こう呼ばれ、半ば国策として北海道に送り出された1群。教師、俳優、商社マン、音楽家、画家・・・全員が農業未経験者だった。

「住宅の用意あり」との募集要項だったのが、現実は”自分たちで木を切り倒し、自分たちで家を作れ”であった。もっと悲惨なことに、同じ列車で東京都板橋区から札幌村に入った一行は、到着するなり入植する土地がないので引き返すように告げられた。

理不尽なことは世の中にいくらでもある。今の時代の我々には耐えられないだろう。しかし世田谷部落の人たちは野幌原始林に入り、木を伐りだし家を建て、泥炭地を開墾して本物の開拓民として生き抜いた。

驚くべきは、その苦労の日々の中で互いに得意分野を受け持って英語、哲学、文学、音楽、稼働、書道などの勉強会を開いたり、自分たちの随筆、俳句、絵、論文などを掲載した機関誌を発行したりと、心の糧を追い求めていたことである。

つちのお気に入りの下りはここである。

「この年、青年たちの畑からは小豆が四俵取れた。スイカのできも良かった。これを金に換え、蓄音機を買った。レコード購入予算を七千円組んだ。(中略)買ってきたレコードは、ベートーベンのバイオリン協奏曲・月光奏鳴曲。シューベルトの未完成交響曲・冬の旅。ショパンの24の前奏曲。リストのハンガリア狂詩曲第6番。シューベルトのセレナーデ、メリーウィドーワルツ・・・」

芝居もやった。自分たちの体験をもとにした自作・自演の作品「落武者部落」だ。
      「世田谷倶楽部」 世田谷記念碑tr
苦しく貧しい暮らしだけれども、崇高な精神と溢れる情熱を持った美しき時代。それを思い浮かべながら、現在の世田谷部落の集会所「世田谷倶楽部」を訪れた。現存のものは何代目だろうか?初代「世田谷倶楽部」は昭和22年、部落の人たちの手で建てられた、夢の象徴だった。

今は何事もなく、7月の太陽の照り返しと乾いた風の中に立つ「世田谷倶楽部」。しかし60数年前の汗や涙、笑がしみ込んだ大地に立っているのである。ここに蓄音機からベートーベンが、シューベルトが、どんな風に響いたのだろうか?

「楽しい夢は、苦しい生活の中でしか見られない。」 自作・自演芝居「落武者部落」の中の名台詞である。

北海道の歴史は浅いというけれど、濃い。

ところで「世田谷のスイカ」は有名だったそうだ。その行方はいずこに?ちょっとした歴史のロマンである。

2012.07.13 | | Comments(0) | Trackback(0) | 未分類

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札幌市在住でなぜか「江別」好き。友達は殆ど江別、そして農家・・・

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